この映画を演出した橋本信一監督とは30年来の付き合いがあった。
「あった」と記したのは、橋本監督が、残念ながら本年6月に病気のため他界されたからだ。
今回の映画紹介では、橋本監督への追悼の意を込めて、彼の代表作である「1000年の山古志」を取り上げたい。
2004年10月23日、新潟県中越地方を襲った地震は、山間に佇む山古志村を全村崩壊させた。
山崩れがいたるところで起こり、土砂が川をせき止めて集落を水没させ、住居は軒並み全半壊、水道、電気のライフラインも全て止まり、14集落2162名の村民は、自衛隊のヘリコプターで長岡市へ避難することになる。
この映画は、その震災発生から4年間に及ぶ山古志村の復興の記録である。
長岡市へ避難した村民は、東日本の大震災の場合と同じく、避難所、主には公立学校の体育館で、プライバシーのない不自由な生活を送ることになるのだが、もし、このような状況下に、私たち都市部で暮らす人達が追い込まれたとするならばどうなるか。
これは、橋本監督が取材の時に気づき、この映画のシンポジウムの際に話されていたことだが、「村で暮らす人達は、お互いのことを良く知っている。たとえば、向こうの山裾に住む誰々さんは、ことし幾つになって、鯉の養殖を生業としているということまで知っている。所謂、村中の人が知り合いか親戚であるので、プライバシーのない避難所での生活も比較的ストレスを受けにくい。また、助け合うことも容易にできる。だが、これをひとたび都市部に置き換えた場合には、そうはいかない。
普段の暮らしの中でも、まったくお互いのことを知らない者どうしが体育館での生活を余儀なくされるのだから、そのストレスたるや相当なものになる」
橋本監督のこの言葉は、4年間の現地取材の中で、橋本監督自身が山古志村の人達と深く交流し、避難所での生活の様子を目の当たりにしたことから生まれたものであろう。
都会育ちの私には、この橋本監督の気づきが骨身に染みるほど理解できるとともに、地震発生時はもとより、ライフラインの再開や仮設住宅への移住も含めて、むしろ、その後をどう生きるかということの方が、私には深刻に思えた。
この事柄については、とくに映画の中ではふれられていないが、映画「1000年の山古志」には、この他にもたくさんの「気づき」がある。いかにいま、何を大切にすべきかを教えてくれる。そして、タイトルにある通り、先人たちが様々な試練を乗り越えて生き続け、後世に繋いできた歳月の重みを、そしてその先に自分たちがあるのだということを、この映画は、改めて気づかせてくれる。
故に皆さんには、是非、この映画をご覧いただきたい。この映画を観ることで、被災された方の現実をどのように感じられるか、こうして過不足のない日常を送っている私たちにも、山古志村や東日本で暮らす人達と同じ現実が、すぐそこまで迫っているかもしれないから・・・。
最後に、「1000年の山古志」のチャリティー上映会が、川崎市麻生区にあるアートセンターで近く開催されるとのこと。まだご覧になっていない方は、是非、この機会に劇場へ足をお運びください。

7月25日(月)川崎市アートセンターでチャリティー上映会開催。1000年の山古志が上映されます!

文/日本映画大学T部長